大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

広島高等裁判所松江支部 昭和26年(う)244号 判決 1952年3月12日

控訴人 被告人 竹内正実

弁護人 中山淳太郎

検察官 中野和夫関与

主文

本件控訴を棄却する。

理由

弁護人中山淳太郎の本件控訴趣意は別紙控訴趣意書記載の通りであるからその主張の各点に対し当裁判所は次の通り判断する。

第一点について。原審に於ける証人沢田亮一、鎌田幸子、加藤与一、山田志津子、森田スマ子、坂口義信等の各供述記載によれば被告人と同人等とは平素全然交際のない間柄であることが窺われるからたとえ被告人が鳥取市海外引揚者協会の副会長であり右の者等が同協会の会員であつたとしてもそのことだけで被告人と同人等との関係は公職選挙法第百三十八条第一項に所謂密接な間柄にあるものとは言えない。又被告人において同人との関係が同条項に所謂密接な間柄でないのに拘わらず密接な間柄であると誤信したとしてもそれは法の不知であつて処罰を免れることはできない。要するにこの点に関する弁護人の論旨は総て採用し難い。

第二点について。然しながら原判決挙示の関係証拠を綜合すれば原判決摘示の第二事実を認定するに充分である。弁護人は原審の採用しなかつた証拠を捉え原審の適法に認定した事実の誤認を主張するものである。尚公職選挙法第百四十三条によれば同条第一項第一号から第五号に掲げる場合の外は選挙運動のために使用する文書図画の掲示を禁止している。而して原判決の摘示するところによれば被告人は各選挙人居宅を訪問するにあたり鳥取市会議員候補者竹内正実と墨書した巾約三寸の白布製襷を肩にかけ以て右選挙人等に対し公職の候補者の名を表示する文書を掲示したと言うのであり右は前示条項第一号から第五号までの何れにも該当しないことは同各号の規定に照し明瞭である。されば被告人の右所為に対して公職選挙法第二百四十三条第四号第百四十三条を以て問擬するに毫も差支えない。(尤も原判決挙示の法条を見れば原判決は右所為に対し公職選挙法第二百四十三条第百四十六条を適用しておるものの如くであるが原判決の摘示事実に対しては公職選挙法第二百四十三条第百四十三条を適用するのを正当とするけれども原判決の右法令適用の誤りは判決に影響がないものと認めるからこの点において原判決を破棄しない)更にかかる行政法規の違法性の錯誤は罪とならないと弁護人は主張するけれともその首肯し得る理由を発見し得ないのみならず右は法の不知であつて処罰を免れることはできないものというべきである。要するにこの点に関する弁護人の論旨は総て採用し難い。

以上の次第であつて本件控訴は理由がないから刑事訴訟法第三百九十六条を適用して主文の通り判決する。

(裁判長裁判官 平井林 裁判官 久利馨 裁判官 藤間忠顕)

控訴趣意

第一、判示第一事実に付て

1 被告人は鳥取市海外引揚者協会の副会長でありこの協会により市議会議員候補者として推薦せられたものであり被告人の訪問した沢田亮一及其他の選挙人は同協会の会員であり公職選挙法第百三十八条第一項但書に規定せる「密接なる間柄にある者」に該当するから右会員宅を訪問して選挙運動しても罪とならない(女子については引揚者協会の会員であるその夫を訪問する趣意に出でたものである)

2 此点に付て附演して置く必要のあるのは引揚者協会の役員との関係は通常の組合とか会社の様なものとは異り海外より引揚げ無一物の悲惨な境遇より何とかして生活の途を確立しようとしてお互に励ましあい助けあつて来た間柄であり又かゝる直接の交渉なくてもこの間運命共同体的な感覚を抱いて居るものであり又被告人作成の意見書にも明記せられたる通り引揚者協会の性格なり被告人の活動状況等に基いて考察すれば被告人と沢田亮一及其他の選挙人との間柄は第百三十八条第一項但書に云う「密接な間柄にある者」と称して何等差支えない

3 この「密接な間柄にある者」と云う規定は法が戸別訪問は極端に亘らない限り許容する建前をとり十分の幅を与えて居ることを明示するものであり必ずしも「親族」「平素親交の間柄にある知己」と同程度の密接な間柄を要求したものではないことは右規定を新設した事情及び選挙取締の実際上に於て候補者自身の行う戸別訪問についてはあたかも無制限と云つてよい位寛大に取扱われたる全国的状況より容易に判断し得るところである

4 被告人は沢田亮一及其他の者を「密接な間柄」であると考えて之を訪問したものであるが仮に「密接な間柄」でないにもかかわらず之有りと考えたとするならばこれは法の錯誤であるか事実の錯誤である法の錯誤であるとするも公職選挙法の規定のごとき朝令暮改頻々として変更せられその規定の趣意に定説の確立せられる暇もない様な法規であつて実際的取締に当る下部職員も疑義頻々として生じその度毎に上司に伺を立てねばならずその上司も疑義ある場合が多いので中央に問合せねばならぬ事態の多い誤認し易い行政法規の解釈に当つて国民が卒然としてこれこれの行為は法の許容する処であると誤信した場合に於てはその行為は罪とならない

5 又法の錯誤であるとすれば罪とならないことは当然である

第二、判示第二事実について

1 被告人は沢田亮一及其他の選挙人居宅を訪問するに当り鳥取市会議員候補者竹内正実と墨書したる巾約三寸の白布製襷をかけ以て右選挙人に対し公職の候補者の名を表示する文書を掲示したものであるとの判示理由は事実の誤認に出でるものである即ち昭和二十五年十一月三十日に於ては未だ襷は製作して居なかつたことは被告人の供述及証人竹内よし子の証言に徴し明瞭であるにもかかわらず原判決は之を排し物的証拠は全くないにも拘わらず証人沢田亮一等の供述のみにより特に同人等の供述は判示の如き文書の記載ありと明確に認識して居ない旨の供述であるにも拘わらずこの供述により判示事実(特に文言までも)を認定したのは採証法則を誤り事実を誤認したものである

2 仮に判示事実存在せりとするも之を違法と判断したのは法の適用を誤りたるものと云うべきである。即ち公職選挙法第百四十二条第三項但書第百四十三条第一項第二号第三号を綜合すれば自動車拡声機船舶にポスター立札及ちようちんを使用しても公職選挙法第二百四十三条に抵触しない。従つて候補者が右のポスター立札及びちようちんを使用したる自動車上に立つて街路を徐走しつつ拡声機を以てその名を連呼する様な行為に出でた場合も違法ではない然し自動車そのものにポスター立札等を掲示せずして候補者自身又は他の運動者が之を自ら掲げて居れば違法であろうか弁護人が和歌山市に於ても郡部に於ても自ら見た処によれば選挙運動者が数人行列をなして自転車に乗り自転車の後部に候補者誰々と記載したる幟を取付け各人メガホンを以て候補者の氏名を連呼して巡廻して居た事実がある恐らく取締当局により適法として取扱われたものであろうこの場合かの幟が自転車に取付けてなくして乗つて居る者が手に持つとか又は背にさして居たら違法であろうか然りとすればかかる法令は実に浮薄皮相のものであつて国民を誤らしめる危険の多いものと云うべきである要するに文書を掲示したる自動車その等に候補者が乗つて居る場合のみならず他の選挙運動者が次々と新手と交替しつつ精力的に猛烈に候補者名を連呼其他宣伝しつつ行進するのは罪にならないが候補者自ら襷をかけて疲れた身体を引づり引づり街路を歩行するとか選挙人宅を訪問するとかすれば罪になると云うのは洵に不合理と云うの外はない公職選挙法の取締つて居る「多数の者に回覧」の趣意は候補者が名刺とかパンフレツトを配布する等の行為により多数の者に回覧させるため物資を費し選挙費用を増大し依て理想選挙の目的を破壊する様な事態を招来する場合を指すのであつて候補者が自らただ一本の襷をかける場合は何等実害なく前記根本精神に反しないから之を罪とするに価しないものと考察すべきであり従つて被告人が戸別訪問に当つて襷をかけて居たとするも之を有罪とするは法の適用を誤りたるものであると云うべきである

3 仮に之を有罪とする法令ありとすれば前記の如く洵に皮相にして国民を誤らしめる危険多く国民之を誤ることあるも巳むを得ざるものと云うべくかかる行政法規の違法性の錯誤は罪とならないものである

第三、結論 以上何れの点よりするも被告人は無罪の言渡を受くべきものであるにも拘わらず原判決が之を有罪としたのは不服であるので原判決を破棄し無罪の言渡を求める次第である

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例